TUGUel3 (まるだし版)

からだをみるひと

ホームページ作ったよって話しだよー

近所の、いつも待合室に人が溢れていた人気の整骨院が『突然ですが閉院します急ですいません』みたいな貼紙をして終わっていた。そのちょっと前にも評判の良い整骨院に『本日よりしばらくお休みします』と貼紙してあるのを見たばかりだった(←これは後日しばらくしてまた開いてるのを見たから閉院したわけじゃなかったらしい)。

んで、その人気の整骨院の閉院の貼紙を見て、すっごい漠然とだけど「ああ、もうこれからはひとりひとりが自分でからだを治していく時代になるんだなぁ」って頭にぽっかり浮かんできた。

いまは整骨院や整体やオイルトリートメントもエステもそうか、あとなんかいろいろ、からだをどうにかしてくれるとこが街じゅうに溢れていて、ちょっと昔よりそういうとこに行く人たちがグンと増えて、それで食べてってる施術家もこれからこれで食べていこうとがんばってる施術家も趣味みたいにやってる施術家も、とにかく施術家と呼ばれる人たちが大勢いて。

でもこれからはきっと治してもらうより自分で治していく過程にみんなが集中していくんじゃないかなぁと思ったわけです。施術家いらず。で、施術家多数廃業。

あくまでもあたしの頭にぽっかり浮かんだ適当なものだから根拠もなにもないよ。でもあたしが望んでいることだったよ。廃業したいわけじゃないよ笑

何がしたいんだろうって

ここ最近ずっと考えてて思い出した。

 

施術家もこれからは本物しか残らないと思うし、だとしたらあたしは残る自信はある。だから痛みや不調を抱えている人たちには施術というかたちで精一杯努力するけど、それだけじゃない、未病の手前?の人たちや健やかに過ごしてる人たちにも自分のからだに興味をもってもらえること、"自分で治していく"人たちにその過程のお手伝いをより深くできるようになること、そんな感じのことをこれからもっと学んでやっていきたいなぁとぼんやり思いました。

 

でもこれ、自分の中の意識の話しだな。

 

やることは変わらないかもしれないしガラリと変わるかもしれない。まぁでも言ってることはずっと変わってないと思う。結局ぶち当たるのは「それで食べていけるの?」ってとこである。

 

・・・こんなことを考えながら

悶々とホームページ作ってました。

 

https://tuguel3.jimdo.com/

 

あたしのことを知ってもらえるツールにしたいからちょこちょこ手直ししていくよ。

もっと柔らかくしたいのね。

38+おいしいもの

漢方の先生に「おいしいものを食べなさい」と言われた。「わたしのおいしいものとあなたのおいしいものは違うからね」「ちゃんと選んで」「それがあなたの欲しているものだよ」と。

自分の欲しいものをちゃんと選ぶ。

それがもうひとつの処方箋。

食べものに限らず、なんでも。

食べものでからだが作られ、

自分の選択でこころが作られるのね。

 

漢方飲みはじめて一ヶ月経っていろんなからだの変化も出てきた。なかでも地味に変化してるのは体重で、ちょっとずつ増えてきていて減ったりもせずようやく安定してきた。ずっと太りたかったから嬉しい。ああ、でもあれか、漢方の効果とそれこそ「おいしいもの」を選んで食べるようになったからか。

やっぱ単なる栄養失調だったのかな、、

 

目標まであと2.5kg、

そろそろまた運動しようー

居心地。

ひとりで勉強するようになって一年。

教えてもらったことをより詳しくとか繋がる部分とか応用とかを中心にやるようにしている。

新しく知ることもあるけど自分がいま知っていることやできることをより深くしていくことがいまのあたしにとっての"ひとりで勉強"である。共有できる人がいないからなんだけど、、。

なぜそこに戻らないのか、意地やプライドなのかなとも思ったけどそんなこともなかった。

正直、寂しいし悔しいし猛烈に心細い。

聞きたいことだってたくさんある。

けどこれでよかったんだなぁと思えることのほうが多くなったし、ようやくまた新しいことを教えてもらえる場所に行く決心がついた。

 

学ぶのは大好き。

知らないことを知れるのは楽しい。

「無理しないで」って。

あ、また久々になっちゃった。

今日は頼まれごとがあって早起きしなくちゃいけなかったんだけど、早起きしなくちゃいけなかったからあらかじめ「無理しないで」と言われていた。

けど最近はちゃんと起きれるし大丈夫と思って引き受けたものの起きたらひどい頭痛だった。

「無理しないで」と言われていたけど約束したしいちおバイト代も出るし無理すればできるから、と時間通りに行って無事任務を果たした後、2時間ほど気絶していた。

 

ってことから「無理しないで」が引っかかってくる。行かないべきだったのか行ってよかったのか。

あたし的にはしんどかったけど約束も果たしたしバイト代ももらえたので行ってよかったと思っているし、相手も「だから無理しないでって言ったじゃーん」とは言ってくれたけど結果「助かったありがとう」と喜んでくれてあたしも嬉しかった。

 

そう、行ってよかったの、無理して。

 

でも「無理しないで」っていう言葉をあたしが受け入れて無理しないで行かないとする。で、相手は困るだろうけど無理して来てもらうより断ってくれたほうが気が楽だ、となる。

なる?なるの?

時と場合によるのか。

や、相手によるのか。

 

なんかこのへんの「無理しないで」があたしには難しい。この頭痛がある限り無理しないとなんもできないからなぁ。

 

治すことに無理すればいいのか。

早く治しちゃえばいいよね。

変化。

腰痛のため産後二ヶ月くらい
から来てくれてる患者さん。
久しぶりに連絡があって
会ったらなんだか表情がちがう。
雰囲気もとてもキラキラしてる。
日常の腰痛はなくなったらしい。
からだに触れたら理由がわかった。
骨盤の歪みは相変わらずあったけど
そんなのは問題ではないのだ。
ヨチヨチ歩きだした娘ちゃんと二人、
穏やかな時間を過ごしている姿をみて
ああよかったなぁと心からそう思う。
そこに辿りつくまでのお手伝いを
どんなカタチであっても
接するすべてのひとにしていきたい。

予約制にします

ひとまず。
12月から【予約制】に変更します。
予約してくださる方が増えたことと火曜水曜以外の曜日希望の方も多いこと、あとはわたしのへたくそな時間の使い方の問題かな笑。
といっても基本的にはカフェ営業日に合わせて予約を入れていきたいのと、りてこちゃんの台湾プレートやいとちゃんのカレーが食べたいっていう理由でいままでと変わらず館内をフラフラしてるかもしれないけど、、
要は火曜水曜におかっぱちゃんハウスに来てもあたしいないことがあるよ!ってことです。
なので施術受けたい方はわたしに直接連絡ください。何曜日でも何時からでも当日でも直前でも。

 

わたしがやりたかったこと。
ひとつの場所で誰かを待つこと。
経験させてくれてありがとう。

 

カウンターの端っこからたくさんの方々とお会いしてお話した時間は、他では経験できないかけがえのないものになりました。
これからはわたしを選んで施術を受けに来てくれるひとりひとりに対してより丁寧に向き合うために時間を使っていきます。

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実はもうけっこう前にネットから予約できる予約フォームを作成したんだけどどうも使いづらいからこれはもうちょい手をかけてから発表するよ。

ありがとう。

10月末に友達が永眠しました。
リンパでの再発と肝臓と肺への転移。

自分にできること。

そればかり考えながら病院にいる間はだいたい2日おきに12日間、自宅に戻った翌日からの14日間は毎日、彼女の元に通った。

肝臓の数値が下がれば退院できるって聞いたからじゃあ数値下げようかと手をあてた翌日の検査では横ばいだった数値がグンと下がって下がり続けたけど、薬にはどうにも勝てなかった。退院するにあたって薬を替えたのだ。

強力な薬を弱っている肝臓が処理できるはずもなく、肝性脳症(毒素が脳にまわってしまう)と思われる意識障害とともに目にみえるほどの早さで硬く腫れ上がった肝臓と腹水。

前の日まで会話できたのに。
なにをどうしていいかもわからず、それでも彼女のからだは反応してくれる。手あてした帰り道は悔しくてメソメソ泣きながら帰るのが日課になってしまった。てかもう毎日一日中すきがあれば泣いていた。

病院のせい、薬のせい、周りにいる人のせい、そしてそれをどうにもできない自分のせい。
あたしの悪い癖。

でも。
後悔だけはしないようにね、と、いちばん信頼している人に背中をおしてもらい、そうか誰のせいでもないしみんなそれぞれ一生懸命なんだって思えるようになって、その日から泣くのをやめた。
毎日毎日、今日でさよならしても大丈夫と思えるところまでやって「また明日ね」と言って帰った。

今回のことでガンに対しての知識やからだの構造、食べ物に関して、メンタル的なこと、本当にたくさん学ばせてもらった。
誰にでも起こりえることだからこそ、少しでも多くの情報を良い悪い関係なく知っていてほしいな。そのうえで何を選んでいくか。自分が病気になっても近しい人が病気になっても、知っていることで選択肢は増えるから。

誰かの”おかげ”は誰かの”せい”になる。
感謝を忘れずすべて自分で選ぶこと。

かわいいかわいい彼女の笑顔が大好き。
出会って27年、楽しいことたくさんあったけど最後の1ヶ月はめーに触れてめーと真剣に向き合えて笑ったり泣いたりしてとても幸せだったよ。
最後の日の朝方に「あいちゃーん」て呼んでくれた声が頭から離れない。その日は一日中寝ていて水も飲めなくてガーゼでくちびるを濡らしてあげてたくらいなのに、とても大きな声で、はっきりと。一生懸命呼んでくれてありがとね。

もう触れることはできなくなっちゃったけど、声も聴けないけど、でも生きてるのとしんでるのの違いってそんなに変わらないんじゃないかな、と思う。どんなに近くにいても向き合おうとしない心通わない相手と、どんなに遠く会えずにいても思い出すだけでいろんなことを気づかせてくれる相手と、そこに生と死が関係あるんだろうか、と思う。

 

からだに関わる人ってこーゆうことに
何度もぶち当たるんだろうな。
とても貴重な、良い経験でした。